インド仏跡参拝記

初日は一番下からとなりますので、下方へスクロールしてからお読み下さい。【平成25年(2013年)2〜3月:インド仏跡参拝研修記】

2013年3月 7日 (木)

15] デリー→成田:旅を終えて

7日12時50分、定刻どおり成田空港に到着しました。

15日間、色々ありましたが無事全ての行程を終えて帰ってくることができました。住職という立場にありながら、しかも留守役がいないにもかかわらず、こんなにも長い期間お寺を留守にしてしまい、檀信徒の皆様には大変申し訳なく思っています。

そして、今回のツアーを企画・立案された桐生・青蓮寺のご住職様には、このような貴重な体験にお誘いいただき、また色々と手助けまでしていただき、本当にありがとうございました。

また一緒にツアーに参加された皆様、毎日ご心配をしていただき本当にありがとうございました。

最後に、ある意味一番ご迷惑をおかけしたかもしれない、アショカツアー・ツアーガイドの花嶋さん、現地ガイドのディックさん、本当にありがとうございました。

旅行中、花嶋さんが仰っていた「海外旅行とは、日本を再発見する時」という言葉、これからも肝に銘じておきます。

アショカツアー】http://www.ashokatours.com/index.php

皆様からいただいたご助力は、私のこれからの僧侶人生に活かしていくことでご恩返しとさせていただきたいと思います。

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旅を終えて】

ここまでお読みいただいた皆様、最後まで本当にありがとうございました。

この文章を書き終えたのが、帰国後4日目です。人間の記憶は曖昧なもので、これを書いている途中に、もう旅の記憶が定かでは無くなり始めています。

せっかくインドで、目で見て、耳で聞いて、体で感じ取ったことが、段々剥ぎ取られていくような感じがします。

しかしインドの仏跡を巡り、本当にお釈迦様がこの世に存在したことを実感できた感動は、一生忘れることはないでしょう。どのような宗教でも、聖地巡礼の意義とは本来そういうものだと思います。

皆さん、インドという国は仏教徒として行かねば分からないことがたくさんあります。

そして、西暦538年に日本に仏教が伝来してから我々のご先祖様がなぜこの外来宗教を受け入れていくことができたのか、理解できると思います。

これからもチャンスがあれば、是非また何度でも訪れてみたい国でした。

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南無釈迦牟尼仏     合掌

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2013年3月 6日 (水)

14] デリー

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インドでの最後の朝です。まずはインド門へ向かいます。

たまたま朝の式典があったので写真を撮ろうと思ったら、すぐに式が終わってしまい兵隊さんもいきなりリラックスモードです。さっきまであんなに凛々しかったのに、もったいない

このインド門には、第1次世界大戦で英軍の兵士として戦死した方の名前が刻まれています。

合掌

お次は、カンジーさんのお墓へ行きました。

インドのお札は、10〜1000ルピーまで全てガンジーさんですが、なぜコインは無いのかちょっと不思議でした。個人的には、チップを渡し慣れてないのでコインでも難しいのに、札だと更に渡しづらく(千円札を渡したような気分になります・・・私だけ?)、早くコインが出来て欲しいところです。

次は・・・もうどこに行ったのか忘れてしまいました。

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そうこうしている内に、夕方6時のチェックアウトの時間になりました。これから空港に向かいます。

その前に、インド人のガイドさんのお勧めレストランで最後のインド料理を食べました。ここまで体調のことを考えて、なるべく辛いものを摂取してこなかったのですが、ここでは存分にいただきました。

でも私には、やっぱり辛すぎました、へへへ。

午後9時すぎ、空港に到着。14日間、とてもお世話になったインド人のガイドさんとは、ここでお別れです。年も私と同じくらいで、もっと色々世間話などもしてみたかったのですが、いつか日本に来られた時に恩返しとお話の続きをしてみたいと思います。

THANKS YOU MR DIXIT!

デリー発は、日をまたいだ午前1時25分です。それまでは空港内を散策します。

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2013年3月 5日 (火)

13] アグラ→デリー

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朝、まずはタージマハルから今日の観光スタートです。

でもやっぱり、「ああ、ダージマハルね。」(つまらない・・・)になってしまいます。

ああ、このひねくれ者の性格を早くなんとかしなければなりません。でも、それだけこれまでの数々の仏跡の方に強烈なインパクトがあったのです。

10時半頃、アグラを発ち首都デリーに向かいます。そろそろこの研修の最後の時が近づいています。

12時頃、行程の途中にあるマトゥーラという町の『マトゥーラ博物館』に立ち寄ります。

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ここには、最後に心踊らされるものが展示してありました。

『INSCRIBED PEDESTAL OF AMITABHA BUDDHA』(阿弥陀如来の台座跡)

世界最古の阿弥陀如来の像が展示されていました。紀元後1〜2世紀頃に作られたもので、このマトゥーラで見つかったそうです。ですから、この町は浄土信仰発祥の地とも言えるのです。

最後に一華残しておくなんて、ツアー会社さんもニクイですねえ~。

さて、気分も晴れやかになり、途中のドライブインで食事をした後、残り2時間ほど最後のバス旅行を楽しみたいと思います。

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夕方にデリーに到着した我々は、いよいよ最後のホテルにチェックインします。

ホテル:HOTEL SHANGRILA(New Delhi)

http://www.shangri-la.com/jp/newdelhi/erosshangrila/

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2013年3月 4日 (月)

12] カンプール→サンカシャ→アグラ

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朝食後、今日は9時出発です。目的地「サンカシャ(現地名:サンキサ)遺跡」は、ホテルからバスで5分くらいのところにありました。

ここは『三道宝階降下(さんどうほうかいこうげ)』という説話が残っている場所ですが、実際にはお釈迦様はお立ち寄りにはなっていないそうです。

詳しくは下の動画をご覧下さい。(解説は1:00ごろからです)

一番上の写真は、ストゥーパの手前にあった菩提樹の木陰に建つ小さな白い祠のご本尊で、お釈迦様の三階宝階降下をイメージしたものになっています。

ちなみにインド人ガイド曰く、真ん中が天界から金の階段を降りて地上に戻られたお釈迦様、傘をもっている神様(インドラ)がおられる側が鉄の階段、そして左の神様(ブラフマ)側が銀の階段だそうですが、諸説あるようです。

またここは1853年に玄奘三蔵の日記を読んで興味をもったイギリス人によって発見されたそうですが、参拝者がほとんど来ないため、まだ発掘が進んでいない場所がたくさんあるようです。

動画にもあったストゥーパの頂上に祀られているマーヤ(摩耶)夫人も現地ではビサーリデビ(誰も覚えていないという意味)と呼ばれ、ヒンズー教の女神として拝まれているそうです。

さて10時頃、ホテルに戻ります。

実は先ほどのサンカーシャで、今回の仏跡参拝ツアーにおける『仏跡参拝』は全て終了しました。ここからは、いわゆる「普通のインド観光」になります。

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昨日泊まったホテルのオーナーは日本人だそうで、その敷地内には写真のような本堂までありました。

ちなみに日本だとお寺の仏具は木材に漆仕上げが多いのですが、こちらは白大理石を多様していました。日本で作ると、目が飛び出るような金額になるのでしょうね。

この本堂をお借りして、これまでの仏跡参拝研修を皆無事に終えたことを感謝するため、お勤めをさせていただきました。南無阿弥陀仏、合掌。

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先ほどの白大理石の仏具と同じく、この本堂のご本尊と対になるようにお祀りされていたマーヤ夫人と誕生仏がとても興味深かったので、一緒にアップしておきます。

本来は日本でも、4月8日に誕生仏はこのようにお祀りするべきなのかもしれませんね。

私の地元にある六甲山系の中に「摩耶山」という山がありますが、神戸市民にとっては母なる山であることを、今さらながら気づかせていただきました。

お勤めの後少し早めの昼食をいただいて、12時半にはホテルを出立しました。

さて、ここからはもう通常のインド観光になります。

で、次の目的地は、あのタージマハールもある「アグラ」です。このホテルから約4時間のバスの旅です。

夕刻ごろ、アグラ城に到着しました。

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ここはもう敢えて説明する必要もないでしょう。写真は場内にある宮殿の一つです。

仏跡参拝を終えてから、何だか気が抜けてしまい記憶があまり定かではありません。

この後、ホテルに入りました。

ホテル:JAYPEE PALACE HOTEL(Agra)

http://www.jaypeehotels.com/jaypee_palace/index.aspx


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2013年3月 3日 (日)

11] ベナレス→コーサンビー→カンプール

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出発直後にベナレスの駅前を通過しました。朝から相変わらずのにぎわいです。インド人はもしかすると、我々日本人よりずっと勤勉なのかもしれません。

本日は、ほとんど移動になるようです。お腹の具合がだいぶ良くなったことで、バスの旅もだいぶ不安が解消されました。

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途中イラーハーバードという町を通過した際には再度ガンジス河を渡り、6年に一度の大クンブメーラ祭(但し昨日も書いたように、今年は更に特別です)の余韻を見ることができました。広大な河の両岸にはまだたくさんのテントがあり、河にはいくつもの仮設橋がかかっていました。

さて次の目的地コーサンビーに着いたころには、正午をすぎていたように思います。なぜか今日の時間記録は、ほとんど残っていません。

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ここはお釈迦様の時代に存在したという四大強国の一つであるヴァンサ国の王城があった場所で、王宮・僧院跡やアショカピラーも発掘されています。

しかし何だか、これまでとは少し違う雰囲気です。

そうです、子供たちが敷地内に入ってクリケットをしている・・・そして、遺跡群が隠れんぼなど本当に遊び場と化しているのです。

アショカピラーも立っていましたが、誰でも入って登ることができる状態です。

このコーサンビーには色々な仏教説話も残っており、他の仏跡と遜色無いものがたくさん残っているのですが、なぜか取り残された遺跡群と化していました。

近くには全く建物がありませんので、昼食のお弁当をバスの中でいただいた後、すぐに今日の宿泊地カンプールへ向かいます。

本日は、ほぼ丸一日をバスの中で過ごす、長い長い日でした。

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さて今日はちょっとここで、インドのこぼれ話を一つ。

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ここ数日大変お世話になった『おトイレ』様。インドではまだウォシュレットは珍しく、ホテルでもあまり見かけませんでしたので公衆トイレでは皆無です。

ただ、たまたま下痢が一番ヒドかった夜のトイレにはそれが設置してあったので大助かりでしたが、日本のものとは全く違います。(写真は今日のホテルではありません。)

ちなみに写真左側にある小さなシャワーのようなものが、それです。

最初は狙ったところに打つのが大変でしたが、慣れてくるとこれはこれで面白かったです。ただ常温ですから、日本では特に冬場は使用できないでしょうね。でもインド式の方が、設置費用や壊れた時の修理が大変そうですから、日本のメーカーさん、是非インド進出を狙ってみてはいかがなものでしょうか?

なんと言っても、もう数年で世界一位の人口を誇る中国を抜くといわれるインド12億の民のトイレの数は・・・凄いと思いますよ~。私のようなお腹をこわす旅行者もたくさん来るでしょうから。

ちなみにトイレットペーパーも後ろの二つは新品です。でもこの薄さ。紙は大切にしなければいけませんが、日本と同じように油断して使っていると「あっ」という間に無くなってしまいます。チャンチャン。

ホテル: SANKISA THE ROYAL RESIDENCY(Sankisa)

http://www.theroyalresidency.net/sankisa/index.htm


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2013年3月 2日 (土)

10] ベナレス・サールナート

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朝5時にホテルを出発した我々は一路、ヒンズー教の聖なる「ガンジス河」へ向かいます。こんなに朝早くに出るのは、混雑する時間を避けるため、そしてこの時間帯がもっとも沐浴の効果(ヒンズー教では、全ての罪が清められるとされる)ためです。

え?私も沐浴するのかですって?やっと下痢も治まってきたのに、そんなことをしたら罪が流れ清まるどころか、私自身が流れていってしまいそうです。

我々の代表として、ずっと同部屋だった横浜のM君が沐浴にチャレンジする予定です。でもその彼も昨日からお腹の調子が良くないようで、大丈夫なのでしょうか・・・

到着した頃はまだ川面は真っ暗、今はまだ危険なので小舟に乗って1時間ほど遊覧することになりました。上流から吹いてくる風はインドとはいえ寒いため、折り返し地点までたまたま一番風上側だった私は、密かに下痢も相まってそれはもう大変でした。

そして6時頃に岸辺に戻ってきてから、いよいよM君の沐浴開始です。と、思ったらインド人のガイドさんも沐浴を始めました。彼は敬虔なヒンズー教徒です。

でも残念ながら他の日本人の方を押しのけて撮影する元気が私には無く、その写真は撮影できませんでした・・・

(ちなみにちょっと川に手を入れてみましたら、あらびっくり、けっこう温かかったです。)

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帰りは行きの徒歩と違い、3輪車タクシー(乗客二人乗り)に乗っての移動です。写真手前の白いマフラーをした初老のお爺さんが、私とM君の運転手でしたが一番重い二人でごめんなさいね。まだ6時すぎでしたが、町はもう活気づいていました。

実は今年はヒンズー教において、太陽が牡羊座に入る1月13日〜3月10日までの間は惑星と月が宇宙空間上で一直線になる期間だそうで、例年(6年に一度の大クンブメーラ祭)よりも更に重要な年だったそうです。同じような年は、次は121年後だそうです。そりゃあ、ガイドさんも沐浴するはずですねえ。

クンブメーラ祭→ http://www.tomorrowearth.com/2008/10/kumbhmela.html

さてホテルに帰り朝食かと思いきや、まだ食堂が開くまでに時間があるようで、インド寺(Mother India Temple)という小さな歴史館へバスで向かいました。拝観後ホテルに戻り、朝食です。と、言ってもまだ私は食べることができませんが。

朝食後、今日は珍しく仏跡参拝ではなくベナレスの名産であるシルクの工場見学です。1時間半ほど見学の後ホテルに戻り、しばらくの休憩をしたのち昼食。私は、ほぼ丸一日ぶりの食事を摂ることができました。

気を取り直して午後1時半に出発した行き先は、ベナレス郊外にある初転法輪の地「サルナート」です。初転法輪とは、お釈迦様が悟りを開かれてから初めてその教えを説いたことです。

初転法輪の話→ http://www.nepal-buddha.jp/life_and_thoughts/encouragement-to-first-preach.php

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まず着いたのは、紀元後5世紀ごろに建てられたチャウカンディストゥーパ(迎仏塔)です。ここはお釈迦様がサールナートに着いた時に、5人の比丘がお迎えになった場所とされています。

ここのストゥーパは今までのそれと少し違い、頭頂部には変わった建物が存在します。これは15世紀頃にイスラム・ムガール朝の王様の部屋(見張り小屋とも)として建てられたものだそうです。

お次は「サルナート考古博物館」です。ここには紀元前3世紀から紀元後12世紀の出土品が展示されています。Inndo39

ここの美術館のメインは左画像『初転法輪像(サールナートにて出土)』です。

またここのベナレスのアショカピラーの頭頂部の四頭の獅子の頭上には、本来は法輪が存在したことなど図入りで説明されていました。

この四頭には、ここでお釈迦様が説かれた教えが世界の四方に行き渡ること願いが込められているそうです。

その他ヒンズーの仏像等もあり比較ができるなど、現地の言葉が分からなくてもある程度は理解できる博物館です。

しかしこの画像はインターネットで探したものですが、確かここは撮影禁止だったのに、なぜこんなに画像が溢れているのだろうか・・・

ま、ここはインド。深く考えないことにします。

さて、いよいよ「サールナート(鹿野園)」へと向かいます。その入口を入ると広大な遺跡群が我々を迎えてくれます。

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通路どおりに行くとまずあるのが、頭頂部のないアショカピラー(頭頂部は、先ほどの博物館に展示)があります。この頭頂部の四頭の獅子に法輪があったことは先に書きましたが、ガイドさん曰くその法輪の軸は32本。インドの国章の法輪は時間を表す24本。

なぜここの法輪が32本なのか、メモし忘れました・・・知りたい。

そのピラーのすぐ側には、大きなストゥーパの基壇が残っています。ここから発見された仏舎利は、それを発見したイギリス人によりガンジス河に流されてしまったそうです。まさかお釈迦様のお骨だとは思わなかったのでしょう、とガイドさんは言ってましたが・・・

またその横にある僧院跡で、お釈迦様は初転法輪の際に5人の比丘に「中道と四諦八正道」を説かれました。

さらに進むと写真でも一番目立つ2段の円柱を重ねたような巨大なストゥーパ、「ダーメークストゥーパ(法眼塔)」があります。

法眼塔の画像等→ http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/sarunato.html

それら仏跡に沿うようにある林である「鹿野園」へは、時間の関係でしょうか行けませんでした。

ちょっと駆け足になりますが、「ムーラガンダクティ寺院」へ向かいます。

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この寺院は1931年にスリランカの大菩提会によって建立され、本尊は先ほどの博物館にあった『初転法輪像』と同じものです。

またここの本堂内に描かれた釈尊伝壁画は、日本人の作品で、入口には日本仏教会寄贈の鐘がありました。とても美しい寺院です。

この本堂の右横には、お釈迦様が成道した際に瞑想された菩提樹の孫樹があり、成道の地ブッダガヤの大塔にあるものと兄弟樹となります。そのブッダガヤにも元樹はすでに存在しません(子樹は、スリランカに現存します)。

今日はこれにて終了です。ホテルに帰り、ベナレスで二日目の夜を迎えます。

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2013年3月 1日 (金)

9] ブッダガヤ→ベナレス

昨晩から何も食べていません。インドに来てから2回目の下痢で、昨晩は一晩中トイレと友達になっていました。

しかしツアーですからワガママは許されません。付いていくか、離脱するかの二者択一、もちろんリゾートに来たのではありませんから付いて行く方を選択します・・・ハァ・・・(涙)

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朝7時半にホテルを出てまず向かったのは、バックロール村、通称スジャータ(セーナ)村です。スジャータとは、苦行を止め河のほとりで沐浴をしていたお釈迦様に、乳がゆの供養をしたお嬢さんの名前です。

そのスジャータさんが住んでいた村には、ホテルからはすぐの所にありました。そこには、ひっそりとですが綺麗なストゥーパがあり、そこがスジャータさんの屋敷跡といわれています。

さらに、ここに来る途中に渡った橋は日本国が寄贈したそうです。その橋が無いと、この村に行くには大きく迂回せねばならず、現地の方にも大変重宝されているようで、通行量も大変なものでした。

スジャータ→ http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF_%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

名残惜しいのですが、30分ほどの滞在で次の目的地「釈迦成道の地・ブッダガヤ大塔」、お釈迦様が悟りを開かれた場所へ向かいます。

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ブッダガヤ大塔の写真→ http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/budhagaya.html

スジャータ村を出て約30分、ここは10年ほど前に世界遺産に登録されたこともあり、世界各国の僧侶・旅行者でごった返していました。

またそのためか、路上お土産売りの方も日本語が大変お上手です。世界各国どこでもそうですが、日本人ガイドさん曰く上手な方ほど気をつけて下さいね、とのことです。

ちなみに私の撮影した上写真は自分自身でとても気に入っているだけですので、是非上記のリンク先のものも見ていただければと思います。この大塔は、やはり今まで見てきたインドの寺院・仏塔などの中で一番綺麗でした。

また、大塔の前庭にはお釈迦様が悟りを開かれてから7日毎に場所を変え、計7週間瞑想をした各場所を示すストゥーパがあります。日本のお葬式の後に、故人様を49日間特別にお祀りするのは、この故事にしたがっているのです。

歴史的にこの地は、紀元前3世紀に修復・整備されましたが、その後のイスラムの破壊を免れるため地中深くに埋められることになります。現在、まわりの土地よりこの塔が低い位置にあるのは、そのためだといわれています。

その後19世紀頃に再発見され発掘が開始されますが、発掘当初は仏教寺院ではなくヒンズー教寺院として理解されていました。

そして更に時が経て、ここがお釈迦様の成道の地であることが分かり、やっとのことで仏教聖地として復権し今に至るのです。

現在、大塔の裏側には、お釈迦様が悟りを開かれたといわれる『金剛座』と『菩提樹(もちろん当時のものではない)』、その側に『仏足石(紀元前1世紀)』、少し離れた場所には悟りを開かれた後に沐浴された『清華池』などがあります。

さてここで1時間半ほど仏教最高の聖地を見学した後、またバスに乗り込み大塔のそばにある「日本寺」に立ち寄ります。

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日本寺【公益財団法人国際仏教興隆協会】→ http://www.ibba.jp/

ここの外観はまた外部リンクにお任せし、ここの常駐する東大寺(華厳宗)の僧侶の方を掲載してみました。写真は、今回の研修の団長さんである桐生・青蓮寺の御住職さんが回向帳をお渡ししたところです。

この後、ご本堂でご回向させていただきました。

ちなみにこのブッダガヤ日本寺は日本の各宗派共同で管理されており、もちろん我々の宗派『時宗(じしゅう)』もその一翼を担っています。ここの駐在は一回2年間だそうですが、なかなか立候補する方がおられないそうで、毎回その選抜が大変なのだそうです。

え?私で良かったら・・・?と私が20代の頃なら真っ先に立候補したでしょうが、家族・お寺を持つ身分としてはそうもいきません。ましてや、たった2週間の研修で下痢なのですから、この大役は私の息子に託す?としましょう。

では11時ごろ昼食のために、一度ホテルに戻ります。もちろん下痢の私は、何も食べれませんでしたが。

早めの昼食を終えた皆さんと共に12時半にはホテルを後にします。次なる目的地は、ヒンズー教の聖地・沐浴の町ベナレス。ブッダガヤからトラブルが無ければ約5時間で到着します。

今日はこれで仏跡参拝は終了で、午後6時すぎにホテルに入ることができました。

ホテル:THE GATEWAY HOTEL GANGES VARANASI(Varanasi)

http://www.thegatewayhotels.com/gangesvaranasi/gallery.aspx

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2013年2月28日 (木)

8] ラジギール→ブッダガヤ

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本日は朝一番に登山です。第一結集(釈迦入滅直後)が行われた「七葉窟(しちようくつ)」を目指します。

登山口にはヒィンズー教寺院が、そして登山道にはジャイナ教寺院が点在しています。インドには霊山と呼ばれる聖地がいくつもありますが、色々な宗教が同じ場所を霊山とし、共存しています。

中東の紛争の耐えない某地域とは雲泥の差です。インドの奥深さを感じます。

そんなことを考えながら約1時間で到着しました。洞窟前でお勤めをした後、すぐに下山です。ちなみに七葉窟の『七葉』とは、『七葉樹』のことで当時ここにはその植物がたくさん生えていたことがその名の由来だそうです。

七葉樹→ http://tplant.web.fc2.com/3kyoutiku_hitiyouju.html

この洞窟は現在数メートルほどで行き止まりになりますが、入ることは可能です。但し、懐中電灯が絶対に必要です。昔は行き止まりではなく、これから行く山の麓にあるソーナバンダル石窟まで繋がっていたともいわれています。

なお頂上までは、写真にも写っていますが『かご屋さん』に運んでもらうことも可能です。500ルピーほどですが、疲れたの何だのと難癖を付け追加料金をふっかけられます。どう対処するかは、乗る方次第ですね。

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下山してバスで数分移動した所にあるソーナバンダル石窟寺院跡です。

ここは仏教もしくはジャイナ教の寺院といわれ、今だに確定していません。またここはマガダ国の財宝を置く金庫でもあったそうで、今だにジャイナ教の呪文(壁に刻まれていますが未解読)を唱えると、その扉が開くという石壁がありました。

さて今日は少し旅の疲れが溜まってくることをガイドさんは予想していたのか、午前中はここまで。ホテルに戻る途中に王舎城の神殿跡を車中から見学した後、11時前にホテル到着しました。

しかし実は、ここから私の孤独な戦いが始まるのです・・・その話はまた後で。

昼食後、午後1時に出発、次の目的地はガヤという町のそばにある、「前正覚山(ぜんしょうがくさん)」です。

ところでここまでいたラジギールという町は、今まで訪れたインドの町とは少し違い360°ほぼ全てを山で囲まれています。まさに天然の要害といった風情ですが、さらにその尾根をそうように城壁が今なお残っています。

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その尾根は大きく分けると5つあり、それらの頂上には寺院や聖域があります。京都の五山信仰もここから来ているのかもしれないと、日本人ガイドさんが言ってました。

この城壁の町へ昨日はその北門跡から入り、今日はその南門であった所から出立しました。

途中、マガダ国時代に出来た鉄輪戦車のワダチ跡などを見学し揺られること約2時間半、バスはとつぜん道を外れ、日本の採掘現場のような所に入っていきます。

そして駐車場とは名ばかりの砂ぼこりの中、到着したのが前正覚山・留影窟の登山口です。

前正覚山・留影窟→ http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/zensyogaku.htm

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ここは午前中ほどの登山ではありませんでしたが、実は先ほどの昼食前から私はインド上陸後2回目の腹痛が始まっており、とても登山する気分ではありません。

しかし登らねばなりません。なぜならここはお釈迦様が6年もの間苦行をされた神聖な場所であるからです。ちょうど私の目の前に、バイクの兄ちゃんが現れました。要は登山タクシーです。

Dsc00956_368x640_187x300_2 これはお釈迦様の手助けだと思い、さっそく便乗。あっという間に写真の留影窟に到着しました。腹痛でもバイクに乗ると復活するのは、元バイク屋魂がまだ残っているからでしょう・・・とにかく助かりました。

この洞窟には釈迦苦行像がお祀りされてあり、その横にはチベット仏教僧侶が常駐している寺院がありました。

またその寺院の中に、お釈迦様が苦行を離れ乳がゆの供養を受けた場面(左写真)を描いたリアルな絵がかざってあり、とても印象的でした。

さて下山した後は、すぐに出発です。

30分ほど走ったところにガヤという町があり、そこにある橋を渡ったその下が、次の目的地『尼蓮禅河(にれんぜんが:ネーランジャ河)』と呼ばれる場所です。

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ここは、先ほどの留影窟での苦行に意味を意味出せなかったお釈迦様が、スジャータと呼ばれる娘の乳がゆの供養を受け悟りのきっかけをつかまれる場所です。

今は乾季のために水のない河原にバスを停めてもらえましたので、ちょうど河の向こうから歩いてくる女性を撮ってみました。この先にはスジャータさんの住んでいた村も現存します。彼女もこんな感じでお釈迦様の前にやってきたのかな、と思いながら・・・(少しご年配のようですが)パシャ。

この河原は何気ない場所ですが、ここから前正山(留影窟)や明日訪れるお釈迦様が悟りを開いた場所『ブッダガヤの大塔』も見ることができ、その距離感がよく理解できます。

まさに苦行→乳がゆ供養→悟りといった仏教説話通りの道筋を体感できる場所でした。

さて時刻は午後6時前。ブッダガヤのホテルに向かいましょう・・・腹痛が段々ひどくなってきました・・・

ホテル:HOTEL ROYAL RESIDENCY(Bodhgaya)

http://www.theroyalresidency.net/bodhgaya/index.htm

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2013年2月27日 (水)

7] ヴァイシャリ→パトナ→ラジギール

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昨晩は一晩中、外からお祈りが聞こえていました。おそらく近くのタイ寺院からのようで、改めて自分が今、仏教の聖地いることを実感することができました。

今朝は6時半出発、大きな基礎が残る大仏塔跡「リリックストゥーパ」に向かいます。

ヴァイシャリはお釈迦様の時代、リッチャビ族の国である「ヴァッジ」の都があった所で、その遺骨が8つに分骨された際にその一つがここに埋葬されました。

現在はその遺骨(遺灰)は「パトナ博物館」で保管されています。ここで30分ほどの滞在後、次はそのパトナへ向かいます。

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パトナへの道中、ガンジス河を渡りました。ちょうど日本でいう瀬戸内海ほどの広さでしょうか。今の時期にしては水量が多いとガイドさんが言ってました。

しかし橋の老朽化が目立ちます。ちょっとドキドキでした。

さらにこの橋を渡った午前9時ごろは、普段は渋滞がひどいそうですが我々は上手く通過することができ、あっさりと対岸にあるパトナへ入りました。

このパトナという町は第三結集の地(BC244年)であり、現在はビハール州の州都になります。またお釈迦様の時代では、マガタ国のアジャセ王がこの地に大きな城塞を築かせた交通の要所でもありました。

パトナに入るとすぐにその結集の地跡に到着します。そこは現在整備され公園のような場所になっており、クムラハール(鶏園寺)遺跡と呼ばれ「百柱の間の石柱」の一つが横倒しの状態で屋外に無造作に展示してあります。

さてここも30分ほど滞在した後、今日の宿泊地ラジギールへ向かいます。

3時間ほどバスで走ったところにラジギールはありました。この町は、お釈迦様の時代にはマガタ国の都があった場所で、王舎城と呼ばれる城塞に囲まれた町でした。

昼食のために今晩泊まるホテルに入り、食後の2時ごろにラジギール近郊にあるナーランダ大学後に到着します。

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中国の有名な僧侶である玄奘三蔵法師も学ばれたこの大学は、最初はヒンズー教を学ぶ場所として4世紀ごろに制度化され、その後仏教のみならずインドの古代思想や冶金等幅広い学問を学ぶことができたそうです。

また、『0』の概念や天体の相対関係を発見した方などを輩出した学校でもあるそうです。

このように12世紀ごろまで大いに栄えていたこの場所も、やはりイスラムにより破壊され、その後発掘されるまでの700年間という長い眠りにつくことになります。

現在この遺跡群の中には、お釈迦様の10大弟子の一人である舎利弗(しゃりほつ)のストゥーパや礼拝堂・僧院跡、そして図書室やたくさんの学生(約1万人ほど)の食事を保管する倉庫・居住室なども発掘されています。また、周囲には多くのストゥーパの基壇もありました。

さて現在の時刻は午後3時。今日のメインまではまだ少し時間があったようで、明日に行く予定であった「竹林精舎」に向かいます。

この竹林精舎はラジギールの中心街にあるため、もと来た道を戻ることになります。ここはお釈迦様が悟りを開かれた後、約束通りビンバシャーラ王に会うためこの地を訪れた際に、王より寄進された精舎です。

つまり世界で初めての仏教寺院というわけです。ただそんな重要な場所であったはずなのですが、正直がっかりする内容でしたので写真はありません。

精舎を後にした我々は、今日一番の遺跡に向かいます。いや、もしかすると我々浄土門の僧侶にとっては、この旅行一番の重要な場所かもしれません。

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ここはマガタ国王舎城内にあった牢獄跡です。そして赤矢印の先は、霊鷲山(りょうじゅせん)と呼ばれる山の頂きです。

この関係を覚えていただいて、以下のお話をまずは読んでみて下さい。

『王舎城の悲劇』→ http://www.nsknet.or.jp/~h-makino/study014.htm

ちょっとアニメチックだったかもしれませんが、読み易いかと思いあえて選んでみました。

そうです。この場所は、お釈迦様が阿弥陀如来や極楽浄土について初めてお話になった実在の場所なのです。我々が普段お読みするお経の一つ『観無量寿経』の場面がここなのです!

これぞ仏跡参拝の極みです。そして今から、この霊鷲山に登ります。

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バスで登山口まで移動したのち約1時間ほどの山を登りますと、その頂きに礼拝堂跡がありました。

我々はそこで、今まさに西方に沈もうとする太陽(つまり極楽浄土のある方角)、そしてお釈迦様と同じようにイダイケ夫人が幽閉された牢獄を眼下に見ながらお勤めをすることができました。

もうこうなると映画のワンシーンの中にいるような気分です。一生忘れることができない光景でした。

以上、余韻の冷めない中、下山した我々は本日のホテルへ向かいました。

ホテル:INDO HOKKE(Rajgir)

http://www.tripadvisor.in/Hotel_Review-g1155937-d1180245-Reviews-Indo_Hokke_Hotel-Rajgir_Bihar.html

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2013年2月26日 (火)

6] クシナガラ→ナンダンガル→ケサリア→ヴァイシャリ

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帰国後に考えてみると、この6日目が私にとって一番過酷な日になりました。15日間で一番の悪路に加えて、第1回目の下痢が始まったからです。

それはともかく、今日は道路状況からバスでの移動が困難であるため、3台の乗用車に分かれて目的地に向かいます。こういった配慮は、さすが旅行会社主催のツアーならではです。

涅槃の地を離れた我々は、インドで最大にして一番美しいといわれるストゥーパ(紀元前3世紀ごろ)のあるラウリア・ナンダガル(ナンダガル遺跡)を目指します。朝6時にホテルを発ち約5時間、延々写真のような道を突き進んだ先にそれはありました。

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1861年に発見されたこのストゥーパからは、現在のところ仏舎利(ぶっしゃり:お釈迦様のお骨)は発見されていません。高さこそこれから向かうケサリアのものよりは低いのですが、その原型の保存状況はその地理的要因からも良好で、最も美しいストゥーパといえると思います。

しばし堪能した後、車で1分程の近くの原っぱでランチ(ホテルが用意してくれたランチボックス)になりました。

どうして原っぱなのか?そうです、建物が全くないのです。もちろんトイレも。私は男性ですからまだマシだったのですが、女性陣は大変そうでした。

なるほど、観光客が来ないはずです・・・

でも私はこの頃には正露丸が効いてきたのか、体調も少し良くなってきたのでハッピーです、ホッ。

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昼食の場所から車で約5分のところに、インドに二つしかない(もう一つは今晩の宿泊地ヴァイシャリ)完全な形のアショカピラーがありました。

紀元前3世紀(アショカ王期)から雨風に耐え現存しているということは、見方を変えるとこの地まではイスラムの破壊が及ばなかったということでもある訳です。

しかしせっかく写真のように遠目には美しいのですが、近くに寄ってみるとなんと落書きだらけ。この塔を発見した方の落書きまで・・・以前イタリアの遺跡に落書きをしてお灸を据えられた日本の女学生がいましたが、古今東西、人間は愚かな生き物なのですねえ。

またこの辺りには、明らかに何かが埋まっていそうな小高い丘が点在していました。建物がないだけにそれらがよく分かります。是非経済発展著しいインド政府が、これら遺跡にも目を向けてもらえることを祈ります。

さてその後、また車で移動した我々はラウリヤアラジ(ラウリアアララージュ)という町にあるアショカピラー(ここは完全な形ではなかった)に立ち寄った後の午後3時頃、ケサリアに到着します。

ケサリアという町は、お釈迦様が王宮(カピラ城)から旅立ち、剃髪され出家を遂げた場所とされています。

その道中、今までいたUP州から、ビハール州に入りました。ネパールとの国境ほどではありませんが、州境にもきっちり検問所があります。また朝から分乗した乗用車から、これまで乗ってきたバスと合流し乗り換えることができました。

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ケサリアのストゥーパです。まだ半分しか発掘されておらず、逆にそれが全景を神秘的なものにしているように感じます。

発掘されたところは色々な箇所で復元されており、本来であればもっとイビツな形をしていたのだと思いますが、現在の姿はやはり観光名所でもある通り、先ほどのラウリア・ナンダガルのものより美しく感じました。

さらに1862年に発見されてから現在7段目までの仏像壇が発掘されていますが、このケサリアのストゥーパの特徴としてその仏像壇にレプリカ像が設置してあります。

またここでも仏舎利(マガダ国から分骨されたものがあるとされていますが)は発見されていません。頂上の壇は、1934年の地震で倒壊し、現在は約38mの高さになっています。

ここは今日の午前中に行ったラウリア・ナンダガルと違い発掘に力を入れていることがよく分かり、各箇所が立入禁止の柵で囲ってありました。数年後にはまた違った形になっているのだと思います。何どもインドに来たくなる人の気持ちが少し理解できました。

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夕刻も迫った頃、ヴァイシャリに到着しました。このヴァイシャリで、お釈迦様は自分自身が3ヶ月後に涅槃に入ることを予言されます。また、紀元前377年に行われた第二結集の地でもあります。

そこにあるアショカピラーもインドに二つしかない完全な形のもので、この登頂にある獅子の像は、お釈迦様涅槃の地(お亡くなりになった場所)であるクシナガラの方向を向いているそうです。

また午前中に見たもう一つの完全形であるラウリア・ナンダガルのアショカピラーの獅子の像とここのものは、少し違った形をしていました。理由は分りません。

お腹の調子もずいぶん回復しましたが、今日はホテルでじっくり体を癒すとします。

ホテル:THE VAISHALI RESIDENCY(Vaishari)

http://www.residencygrouphotels.com/vaishali%20home.html

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